岡山家庭裁判所新見支部 昭和40年(家)130号 審判 1966年3月31日
申立人 田上ナツコ(仮名)
相手方 田上文男(仮名)
主文
相手方は申立人に対し
一、別居期間中申立人が現に居住する家屋全部(相手方所有の通称下の家)を申立人に無償で占有使用せしめなくてはならない。
二、昭和四一年三月一日から別居期間中、申立人についての保有米として毎月一二・七四キログラム(粳精米)を給付せよ。
三、則時金三〇、三三六円を、また昭和四一年三月一日から別居期間中毎月末日限り金四、〇〇〇円宛を給付せよ。
理由
申立人は相手方に対し、婚姻費用の分担として毎月九、〇〇〇円並びに申立人の保有米として毎月粳精米一二・七四キログラムの給付を求め、相手方はこれを拒否するものであるが、当裁判所の、各関係者の審問及び調査の結果に依れば次のように事実を認めることができる。
相手方は、居住地区では富農の家の長男で両親と同居して農業に従事するものであるが、昭和三〇年九月申立人と結婚し、両親と同居するに至つた。
その後申立人・相手方間には長女昌子(昭和三一年一〇月一二日生)・二女友子(昭和三五年二月二九日生)・三女民子(昭和三六年八月二四日生)の三児が出生したが、申立人と姑との不仲が漸次悪化し、家庭内の円満を欠くようになり、遂に申立人は昭和三八年三月頃子供を置いたまま実家に帰り、その後約一年を経過したのであるが、親戚や民生委員の仲介に依り翌昭和三九年四月頃に、申立人は相手方の許に復帰し、従来とは環境を変えて舅姑とは別居して本家から約五〇メートル離れた通称下の家で申立人相手方夫婦と子供だけの生活を始めたものであつた。
然し、その後も申立人と姑との和解ができず、遂に同年一一月頃には、相手方は両親の意に抗し得ずして子供を連れて本家に帰り、下の家には申立人のみが残ることとなり、別居生活が開始されるに至つたのであるが、その後も申立人・相手方の交渉は続いており、昭和四〇年六月には申立人は下の家で四女久子を出産し、現在は下の家で独り久子を養育している。
以上の如き経過に依り現状の別居となつたのであるが、申立人には相手方に対する愛情を有し、同居を希望しているけれども、一方相手方は両親と妻との対立の間にあつて次第に申立人に対する愛情は冷却し、現在では離婚を望むに至り昭和四〇年九月一三日当裁判所に離婚の調停を申立てたが、昭和四一年二月一〇日不成立となつた。
以上の事実に依れば申立人・相手方の婚姻関係は、現状においては結局破たんの状態にある、というべきであるが、その原因について考えるのに申立人の性格が勝気であり、協調性に乏しいことも一因ではあるけれども、主たる原因は申立人と姑との不和であり、舅姑と同居し、その指示のもとに起居稼働することを風習上又は家計上必要とする山間農家の長男として両親と妻との対立の間に立つ相手方の立場も困難ではあるけれどもその結果として妻との離婚を意図することは憲法に明示される婚姻の理念に照して許容し得ないところであつて、結局本件婚姻破たんの責任は相手方に存するものとしなければならない。
従つて、将来何等かの形による離婚が成立して婚姻関係が終らない限り相手方は別居中の申立人に対して婚姻費用(四女久子の扶養料を含む。)を分担する義務があることとなる。
そこで、その分担の方法並びに額につき審按するに、相手方はその父平作名儀のものを含めて田一・八七ヘクタール、外に畑・山林・原野を所有し居住地域における大農であり、供米俵数も昭和三九年度一二六俵・同四〇年度九八俵を算し、その経営の中心は相手方であり、多少の債務ありとするも婚姻費用の負担能力は充分なものとなすべきであり、一方申立人としては、別居後は手内職等により約二、〇〇〇円の収入を毎月得ている程度であるから、四女久子の扶養料を含めて申立人の生活費用額を算定し、相手方に給付を命じなくてはならない。先ず、住居費については現に申立人の居住する通称下の家が相手方の所有であるからこれを申立人に無償で使用せしめることが当事者双方の立場上最も適切と考える。次に、相手方は農家として家族保有米を確保しているが、毎月一二・七四キログラム宛の粳精米は規定上申立人用の保有米であるから、これは申立人に対し当然給付すべきものである。その他の諸費用の計として当該地区における農家の一般生活費及び生活保護法に基く生活扶助の保護基準月額等を参照すれば毎月四、〇〇〇円を相手方より申立人に給付せしめるのを相当とすべく、本件申立のなされた昭和四〇年九月一五日より昭和四一年二月までの分合計三〇、三三六円は即時その支払を要することとなる。以上の次第であるから主文のとおり審判をする。
(家事審判官 本田猛)